2022年12月
2022年12月31日 (土)
2022年12月23日 (金)
初雪
各地で大雪による被害のニュースが流れていますが、我が家のベランダにも初雪が積もりました
家の前の道路は冷え切っていなかったのか、雪は無かったのですが近所の庭木や自動車には結構積もっていました。
私の家から少し山の方に向かうと、結構坂道があるためか12月になるかならないかの時期からあちこちに凍結防止剤が置かれています。
同じ様に坂が多い灘区ではあまり見なかったのですが、宝塚では少し山に近い地域ではそこら中に置かれています。
少し大げさに感じていたのですが、車が無いと買い物にも行けない地域では凍結すると困るのでしょうね。。。
引き続き全国的には大雪に注意とニュースでは言っていますが、明日の天気予報では自宅周辺は少し温度が上がる様です。
2022年12月 8日 (木)
生瀬のウィルキンソン工場の景色と逆瀬川の思い出。
子供の頃、ボーイスカウトに入団していたのですが、当時は最上のキャンプ地として皆が武田尾と言っていました。当時は武田尾温泉で有名だったようですが、どの辺りでキャンプをしたのか、全く記憶がありません。その後、高校になって山岳部に入ってからはロッククライミングのトレーニングで蓬莱峡に良く行きました。そんな事から、子供の頃に時々福知山線に乗っていたのですが、記憶の隅に電車の窓からウィルキンソンと書かれた工場があったことを思い出します。電車の景色でこの様に思い出す所はほとんどないのですが、、、。
武田尾でのキャンプは覚えていないのですが、蓬莱峡の方は高校生になっていたので良く覚えています。当時はボッカ訓練には、金剛山や大和葛城山に行き、ロッククライミングの練習には六甲山の蓬莱峡や仁川、ロックガーデンなどに行ってました。そんなわけで、子供の頃から六甲山界隈(と言っても東側ですが)に馴染みがあったのですが、歳を取ってからその様な思い出の地に近い場所に住むとは思っても見ませんでした。
蓬莱峡での一番の思い出は、納山祭と称してクラブのOBとも合同で餅つきをしたことでしょうか。。米屋の先輩が石臼とセイロを持ち込んで、蓬莱峡の河原で餅つきをしました。当然、飲んで騒いで、、大変でした。蓬莱峡の河原は広く、一斗缶で缶蹴りまでして、他のクライマーかららひんしゅくをかっていたのでは無いかと思います。
酒が切れると、生瀬まで歩いて買い出しです。もう締まっている駅近くの酒屋さんのシャッターをたたいて、無理矢理酒を売って貰いました。
行きは下りなので良いのですが、帰りは上りでオマケに酔っ払っているために、途中で道路上で寝転ぶやつも出てきて大変な買い出しでした。
ウィルキンソンの工場の景色の思い出に引きずられて、若かりし頃のバカ騒ぎを思い出してしまいました。。。(苦笑)
ついでにもう一つ、思い出を書いておきます。
中学1年生だったと思うのですが、ふと思い立って単独で夜間ハイクに行くことにしました。場所は逆瀬川からのハイキングコースとしました。良く考えると無謀な考えなのですが昼間に行った事がないコースを選んだのです。本人は地図とコンパスがあれば何とかなると気楽に考えていたようです。
逆瀬川の駅から川沿いに歩いて、地図ではゴルフ場の辺りにハイキングコースの入り口があったと記憶します。具体的にどのようなコースを歩こうとしたのか覚えていないのですが、ゆずりは緑地辺りから山に入る予定だったのだと思います。
逆瀬川駅を降りたときは薄暗くなっていて、川沿いの道を歩いてゴルフ場辺りに着いた時には完全に日が落ちていました。懐中電灯を持ってハイキングコースに入る所を探してウロウロしていたのですが、どうしても入り口が分からず、勝手にゴルフコースの上を歩いたりしていたように記憶します。
どうしてもハイキングコースの入り口が分からなかったので、諦めて電車がある間に帰ろうと考え、元来た道を引き返しました。後ろから車も来るので危ないと思い、懐中電灯を振りながら歩いていると突然車が止まって、おじさんからどうしたんや?と聞かれました。ハイキングに行こうとしたが道が分からないから帰る所です、、と言うと、子供がこんな時間にこんな所を一人で歩いているからびっくりした、、と言われて、逆瀬川の駅まで車に乗せてくれました。初めてのヒッチハイクです。後から考えると、そりゃそうだなぁ、、と思い、自分の無計画さを反省しました。
ところで、家に帰り着くと母親も驚いて、どうしたん?と聞いてきます。道が分からなかったので帰って来たと言うと、笑っていました。まぁ、心配はしていたでしょうが、無事に帰って来たので安心したのでしょう。
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